ayako_no7の日記

シュート!にまつわるあれこれを残す場所。 原作オタク。

原作オタクがGttFを振り返る

GttFの放送が終了しました。原作オタクもそうでない方も、最後まで見届けた方もそうでない方も、視聴お疲れさまでした。

この3ヶ月は、自分にとってのシュート!とは神谷篤司と久保嘉晴の物語なのだと思い知った時間でした。自分の「シュート!が好き」っていう気持ちは、98%くらい「神谷さんが好き」という意味であり、放送前に原作を全巻読み返して「やっぱり神谷さんが大好きだ~!」というテンションのままGttFを見始めたのがおそらく最大の選択ミスだったと思います。

全編を見終わった感想は「ものすごく消耗した」です。自分がわりと気性の激しい性格なのは重々承知しているのですが、毎回のように怒りすぎて疲れました。私がGttFに対して抱いている怒りというか負の感情全般は、おおむね監督をしている謎のおっさんに起因するもので、監督をあの謎のおっさんではなく、私のなかで特に思い入れがないほかの子にしておいてくれればTwitterでえんえんと怨嗟をつぶやくような修羅道に落ちずにすんだと思っています。それこそ和広でもトシでも健二でもいい。佐々木でもいいし新田でもいい。あ、馬堀はやめてほしい思い入れがあるから。マホはずっと私のアイドルでいてくれてありがとうブラジルのビーチとかでのんびり過ごしていてくれ。

これはつまり、制作側の意図と私個人の神谷さんに対する思い入れが水と油すぎてまったく相容れないということです。それが決定的になったのが引退のくだりをぶっこまれた第6話で、本当にここで見るのをやめようかと思った。神谷さんが自分からサッカーを手放すはずがない。久保さんに合わせる顔がないようなことするわけないんだよ。

ただ、これは自分でもよくわからないんですが、あの謎のおっさんを原作とこれっぽっちも関係ないキャラクター単体として見ればそこそこ好きなんですよ。無能だけど前向きで愉快なところとか。だからもう本当に、全然別の名前でオリジナルキャラクターとして出してほしかった。原作由来のエピソードが差し込まれるたびに頭に血が上りすぎるし修羅道から這い上がれないんだよ。これが1番つらかったです。

それから困惑の材料として大きかったのが、原作と違って心の底からサッカーが好きな子がいないという点です。放送前は、シュート!の名前を冠する以上、「サッカー好きか?」と聞かれれば「はい!」と無邪気に答える子たちがいるもんだと思っていたのですが、そうではなかった。私はTwitterで「GttFはシュート!である意味がない」とさんざん言ってきたわけですが、その要因のひとつがボールを蹴っていないと息ができないみたいな子たちがわんさかいる原作の世界と、GttFの世界が違いすぎることです。

ただこれは、最終回の第13話でGttFの子たちが「サッカーが楽しい」という気持ちを持つことができたのを見て少し考えが変わりました。この気持ちって、原作の子たちはみんなナチュラルに持っているものなんですよね。掛西トリオが分裂したことや久保さんの死で忘れかけたことはあっても、失くしてしまうことはなかった。「サッカーが楽しい」はシュート!のスタートラインにあるもので、原作がスタートについた状態のゼロから始まる物語なのに対し、GttFはスタートラインに並ぶことすらできていない子たちがマイナスから始める物語だったんだなと理解しました。

そしてGttFでは、ほとんどのキャラクターがサッカーをやる理由&やらない理由を他人のせいにしているのも私にとっては謎で、シュート!である意味がないと言ってきた要因のひとつです。これはやっぱり、原作の子たちが自分の意思でサッカーをやるかやらないかを決めていたからにほかならない。主人公のトシは最初から最後までサッカー(と一美)のことしか考えてないし、自分にウソをついてサッカーから離れた和広も、問題を起こしてサッカーから逃げていた健二も、一美の後押しがあったとはいえ自分でフィールドに戻ってきましたからね。世代代表に選出される実力がありながらサッカーを引退した(と思われる)内海さんも潔かった。

そして神谷さんにいたっては、どんなときも自分の境遇や気持ちを全部自分で引き受けて、何があってもサッカーを諦めなかった。中学時代の神谷さんはサッカー部で除け者にされて部活を辞め、クラブチームに入るわけですが、それを誰かのせいにすることなく「よくある話」のひと言で済ませてしまう。この意地っ張りでブレない純粋さがたまらなく好きなんですよ。全部自分で引き受けるがゆえに自分勝手だワンマンだと言われることもあるんだと思うんだけど、その頑固なまでに一途なところが大好きだ。

これも第13話を見て、GttFの子たちには「サッカー好きか?」と問いかけてくれる人がいないからいつも他人のせいにしているのかもな、と思い至りました。シュート!の代名詞といえる「サッカー好きか?」という言葉にはいくつかエピソードがありますが、その中で私が1番好きなのは言わずもがな、中学生の久保さんが神谷さんを掛川高校に誘ったときのものです。ここから掛川高校サッカー部の歴史が始まり、シュート!の物語が生まれたといっても過言ではない。

そして私がその次に好きなのが、トシが3部で語った解釈なんですよね。自分の病気のことを知った久保さんが、「サッカー好きか?好きならもう一度フィールドに立って走れ」と自分自身に問いかけていたというやつです。サッカーを続けていればつらいこともうまくいかないことも当然山のようにあるわけで、そんなときは主人公であるトシ自身、きっと自分に問いかけていたのだと思います。もちろん神谷さんも。

GttFでは予告の部分で毎回、「サッカー好きか?」という問いかけに対する各キャラクターのアンサーが盛り込まれていましたが、最終回は予告がないので、そこで久保さんの「サッカー好きか?」を入れてくると予想していました。アンサーを先に出しといて、あとからネタばらしするんだろうなと。でも予想に反してそれはなかった。そこで、「サッカー好きか?」と聞いてくれる人がいないから、「自分はサッカーが好きなのか?」と自分自身に問いかけることもなく、サッカーやるorやらないの選択が他人のせいなんだな、と思い至ったわけです。

GttFではおそらく、物語を作るための手法として足し算ではなく引き算が採用されたんだと思います。私の大好きなあの子たちが息をするかのように持っていたものをあえて抜いて、マイナスからゼロへ近づけていく話だったんだなと。そう考えると、私が常に抱いていた違和感も、シュート!である意味がないという感想も、想定内なのかもしれません。あの予告部分で流れたアンサーは、謎のおっさんとトシ以外は誰からの問いかけに答えているのかが不明なのですが、シュート!の名を冠している以上、GttFのキャラにもいずれ自分自身に問いかけるくらいのプレイヤーになってほしいと思います。

GttFがシュート!である意味があったかどうかについては、あったと思います。ただし、心の底からサッカーが大好きでサッカーが楽しいという気持ちを当たり前に持っている原作の子たちこそが、GttFのキャラにとって目指すべきものだという私の解釈が間違っていないことが前提ですが。それならある意味、リスペクトがあるわけなので。

ただ、原作のおっさんたちの扱いや設定には首を傾げざるを得ない。監督をしている謎のおっさんは言わずもがな、和広はなぜ医者になっているのか、トシはなぜ正体不明のチャラ男になっているのか、健二が酒屋なのか。この3人は原作の主人公なので、家族構成や経歴がわりと詳細に描かれているんですよね。それなのにGttFでは原作の公式設定とどうつながるのかが分からない設定が出まくるので、気になって仕方がなかったです。和広の父親は元日本代表のサッカー選手で、サッカーをやめて医者になった経歴があり、息子である和広にもサッカーをやめて医者になることを求めます。和広はそれで一度サッカーから離れるものの、結局はサッカーの道を選び、最終的にはプレミアリーグで活躍する超一流の選手になるわけです。それなのになんで医者になってるんだ?現役を引退してから医学部に入り直したのかもしれないけどかなり非現実的だし、父親との関係がどうなったのかも気になる。あれだけしか登場しないのであれば医者という設定を出す必要はなかったんじゃないだろうか。イギリスにいたわりには自分のサッカーチームに海外で出したらヤバイ名前をつけるし。このあたりのいい加減さがかなり雑音でした。

原作が関わらない部分でしんどかったのは、物語の最中にふいに出てくる悪意というか毒気というか自分の倫理観とのズレ、各所に散見されるいい加減さ、サッカーに対する解像度の低さくらいかな。わりといっぱいあるな。まず浜野との試合で点を入れられそうになったとき、ハンドで阻止したことをよくやった!的に演出したのはドン引きした。当然レッドカードが出る重大な反則だし次の試合出れないよ。そのあとのPKで、GKが弾いてラインを割ってるのにコーナーキックから始めないのも謎すぎだし。アニメでサッカーの試合をリアルに描くのが難しいのは理解できますが、私のような素人に違和感を抱かせるほどにガバガバなのはいかがなものかと思う。それから秀人の過去が新聞部のメガネによってあきらかにされたとき、チームが負けるようにわざとやってたんじゃないの?的なモブのセリフがあったのも、そこまで穿った見方をさも当然のように取り入れるのか?とビックリしました。メガネが闇落ちしたときに秀人の人格を否定するようなことをチームメイトに言ったのもひどすぎた。敵のチームを悪の巣窟みたいに描くのも、ストーリーを単純にしたいからなのか何なのかわかりませんが、スポーツの試合とはかけ離れていすぎでは。サッカーの部分に関しては、スポーツしたことない人が一生懸命考えた何かになってたなあという印象です。

<---ここから加筆--->

書こうと思っていたことを思い出した。唐突に出てくるFPS要素についてです。

FPSというのはファースト・パーソン・シューティングの略で一人称視点のシューティングゲームのことです。有名なやつだとエーペックスとかバトルフィールドとかかな。この手のゲームにはPvE(対コンピュータ)とPvP(対プレイヤー)があるわけですが、GttFに出てくるのが終始PvEなのがすごく気になっていました。PvEって相手がプログラムなので、弱点を狙ったり戦略を立てたり攻撃パターンを覚えたりすればど下手くそでもある程度進められると思ってます。一方でPvPの場合は相手の構成や腕前、戦略によって臨機応変に対応しないと永遠に勝てないんですよね。人間が相手だから。

そしてPvEとPvPの最大の違いは、PvEは勝つのが当たり前でミッションをクリアすることが遊ぶ目的なのに対し、PvPは勝ったり負けたりするのが当たり前で、その中でいかにレートやランクを上げていくという遊び方をするものだということです。そして秀人が遊んでいるのは常にPvEで、人間を相手にしてないんですよね。さらに浜野戦のときには相手が司令塔に操られている駒みたいな描かれ方をされ、その中でFPSの経験が生きるという謎オブ謎な展開につなげられていました。

これは最後の野間田戦との違いを描きたかったのかもしれませんが、さすがにサッカーおよび対戦相手をバカにしすぎだと思う。サッカーにおいて戦術を用いて司令塔がそれを機能させるのは普通のことだと思うんですが、掛高側は一人ひとりが考えるサッカーなんだ!的なことを言っていて、相手校がただ他人の命令に従っているだけの、やられることが決まっているNPCという扱いにしか見えなかった。この浜野戦が放送された回は、作り手がサッカーというスポーツに敬意を持っていないんだなと感じた話でした。別にPvEのゲームが簡単だとかそういうわけじゃなく、対人にも対コンピュータにもそれぞれの楽しみ方があるわけですが、スポーツの試合はNPC相手のゲームとは違うだろうと思うわけです。

GttFの主題はサッカーではないと放送前からあきらかにされていましたが、それは決してサッカーをないがしろにしていいという意味ではないと思う。藤田東戦で秀人が入って2-2になったとき、勝ち越したわけでもないのにジョーがめちゃくちゃノンキに含み笑いしてたのもハァ?と思ったところです。いやいやその1点をもぎ取るのがどれだけ大変なのかってことだよ。原作の帝光戦で終了間際に決めた神谷さんの同点ゴールとか、前工戦でこれを決めなきゃエースストライカーの資格なんてない!って突っ込んでいったトシとかを思い出すとほんとに何でこうなった?と言わざるを得ない。勝つことは決まってるもんね〜というシナリオが透けて見えるシーンでした。ただここのシーン、ジョーのノンキな様子と裏腹に声優さんの「あと1点」という演技はめちゃくちゃ力が入ってて、声優さんのサッカー経験者っぽさが出てたように思います。

<---ここまで加筆--->

各所に散見されるいい加減さというのは、公式Webサイトのテキストが間違っていたり、イラストがカジュアルに左右反転されていて服の合わせが変だったり、秀人にプレゼントされた靴が両方左足だったり、学校新聞の禁則処理がムチャクチャだったり、和広のチーム名がヤバかったり、公式Twitterが告知するオンエア日が間違っていたり、作中で半年経過しているのに季節感がおかしかったり、といったことです。神が細部に宿るように悪魔も細部に宿りますから、そこはきちんとしないと。作品にいい加減に向き合ってるんだなという印象しか芽生えません。

<---ここから加筆--->

それからオアシス21で行われたトークショーの件。このアニメにおいて、ほぼ唯一の制作側の意見を聞ける機会だったと思います。プロデューサーの方2名(原作を知っている方と知らない方)が登壇されて、本当はオリンピックイヤーに合わせて原作リブートの予定だったetcといった話がありました。原作を知っているほうのプロデューサーさんは、掛川高校サッカー部が落ちぶれたという設定に何してくれとるんじゃと思ったとおっしゃっていましたが、そもそも当時のサッカー部は久保さんというカリスマによって生み出され、久保さんの死によって神谷さんの英才が開花し、久保さんの思いを肌で実感している有能な選手が集まっていたから強かったのであって、それがなくなれば落ちぶれるのは当然である。なので私自身は、サッカー部が落ちぶれたことに対しては異議ありません。この話を聞いたときに、自分の認識とのものすごいズレを感じたのですが、それは結果的に合っていたことになります。

トークショーがあったのは本編で和広が登場したすぐ後だったんですが、話のなかでトシが出ることをぽろっとネタバレするなど、え?と思うこともありました。ただ通販サイトにはこの時点ですでにトシの名前が掲載されていたり、商品紹介のテキストがおかしかったりといろいろガバガバだったので、もうどうでもいいわ…という気持ちだったのは確かです。

<---ここまで加筆--->

長くなってしまいましたが、これは修羅道から抜け出すために必要な禊なので仕方ない。GttFが放送されたことで原作の魅力を再発見できたし、Twitterでシュート!の話ができたという側面もあります。この3ヶ月、何だかんだ充実してたんじゃないかなと思う。これだけ怒ったのも久しぶりだよ。でも体と精神がもたないので2期はいりません。

オタクとしては、引退後の神谷さんという概念が自分の中で生まれてしまったのもしんどかった。「イタリアでプレーしている神谷さん」でピリオドが打たれていたのに。神谷さんがピッチを去る姿を考えたくなかった。スポーツ選手だから現役引退は避けられないものだけど、いざ突きつけられてみると、神谷さんが夢中でボールを蹴っていたあの頃、未来しかなかった日々が愛おしくて仕方がない。そして今日もまた原作を読むのです。

(おわり)